tobihiro’s blog

神の道online

2019/2/8(金) ファースト・マンをみてきた。

 俺の趣味らしい趣味といえば、映画を観るかゲームを遊ぶかくらいしかないのだが、今日は『ファースト・マン』を観てきた。

 端的に感想を述べれば、もんのすごくよかった。この映画を観た後、「俺は前澤社長よりも先に月へ行ってしまったんだ」と、そう思えるスゴイ映画だった。

 『ファースト・マン』がどんな映画か、なんて説明は適当にググって貰えればいいんだが、簡単に説明すると、人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロングの半生を描いた映画だ。

 『ファースト・マン』は、いままでのこういった史実を描いた宇宙映画とは、一線を画す内容になっていると思う。その特徴のひとつは、ニール・アームストロングに徹底的に焦点を絞って、その心情描写を物語の中心に据えていることだ。

 宇宙開発を主題にした映画といえば、大体は言ってしまえばプロジェクトXのような、技術者と飛行士が揃って宇宙開発計画を成功へ導くといったようなまとめ方が普通だ。しかし、『ファースト・マン』は開発計画の説明はほとんどなく、とにかくニールの個人的な描写が中心となっている。

 ニールには3人の子供がいるが、2人目の娘は脳に悪性腫瘍があり幼くして亡くなってしまった。その事がニールにずっと影を落とし、最後月へ辿り着くまで物語の重要な要素のひとつになっている。

 また、ニールの視点から宇宙開発における多くの犠牲者の話も盛り込まれる。ジェミニ計画の訓練中に着陸に失敗して宇宙飛行士2名が死亡した事故や、アポロ1号が試験中に火災を起こし宇宙飛行士3名の命が失われた事は、多くの人が知るところだろう。そういった事故を事実として知ってはいたが、改めてニール視点の映画を通して観ると、彼らはニールの同僚だったんだよな、と。ニールが感じたであろう同僚を失ったその喪失感が、実感として突き刺さってくる。

 なんだか多くの宇宙開発映画を観ていると、それが悪い事だとは言わないが、プロジェクトの成功にばかり焦点が当てられていて、成功体験の喜びばかりが強調されるが、こういったプロジェクトに関わる人間の喪失感やもの悲しさを強調した物語というのも珍しい。宇宙開発って本当に多くの犠牲の上になりたっていたんだなと、しみじみと感じ入る。その物語の作り方が、その他の宇宙開発映画と一線を画す内容だったと思う。

 恐らく、この映画は見る人によって感想も違ってくる多層的な内容だろう。ニールと家族、同僚との関係性も物語の軸として描かれていたが、やはり宇宙開発映画なので、ロケットや宇宙の描かれ方にも注目したい。

 このロケットや宇宙の描写も他の映画にはない独特の描かれ方をしていた。俺はこの点の素晴らしさを特に強調したい。

 安い言葉で語れば、まさにロケットの中に実際に自分がいるような、本当に宇宙へ、月へ辿り着いてしまったかのような臨場感は、今まで観てきたどの映画よりも素晴らしかった。

 普通ロケットの打ち上げシーンというと遠景からロケット全体を映しつつ飛行士のカットを混ぜつつ、という感じだと思う。ロケットの打ち上げシーンで思い浮かべるいつものあの映像だ。だが、『ファースト・マン』の打ち上げシーンはそれまでの映画と全く違う。

 ジェミニ8号の打ち上げシーンが特に顕著だったと思う。ニール達宇宙飛行士が発射台からタイタンロケットに乗り込み、打ち上げられて宇宙に到達するところまで、全部宇宙飛行士の視点で描かれる。

 打ち上げシーンなのにロケットの全形は映さない。狭いロケットのコックピットに押し込められ、分厚い金属のハッチが「ゴン…」という低い金属音を響かせ締められる。カウントダウンシーケンスからロケットエンジンが点火されると、コックピットの金属がきしみ、ボルトやナットがカタカタと振動で音をたてる。ロケットはものすごい力で打ち上げられるわけだが、その音の演出がいつロケットが空中分解してもおかしくないんじゃないかという恐怖感と緊張感を煽る。ロケットの状態がどうなっているかなんて、管制室からの無線とコックピットの狭い窓から見える僅かな風景だけでしか分からない。広い劇場にいるはずなのに、本当にロケットに乗っているかのような恐ろしいまでの閉塞感と緊張感。映画を観ていると、正に今、俺はロケットに乗って打ち上げられているんだと感じられる。

 今まで観てきたどの映画のロケットの打ち上げよりも、はるかに臨場感があって圧倒されてしまった。ここまでリアルに描けるものなのかと。

 宇宙を扱った映画が好きなら、マストな1作なのはもう間違いない。

 予告編も公開されているが、この予告編をみて感じる「あーこういう映画なのね」って感覚は、いい意味で裏切られる。ありきたりな映画を予想していると、まったく違う映像体験によってぶん殴られるだろう。

2019/2/6(水)

 二日目にして書くネタがなくなった。毎日、わざわざ文章として残したい愉快な事が起こるわけがないだろうが。人生はつまらない。充実した毎日を送っていたら、わざわざ駄文を連ねるようなマネをする必要はないんだよ。

 大体、今2019年だぞ。今年には平成も終わるんだぞ。平成も終わるというのに、20年前のテキストサイトのように、ダラダラと長文を書いてる時点で終わってる。こういうコンテンツがもてはやされた時代はとっくの昔に終わったんだよ。わざわざこんな文章を連ねている時点で、感性が完全にクソジジイである。

 今時のコンテンツと言ったら、やはりYoutubeだ。

 俺は2年ほど前からYoutubeをみまくるようになった。Youtubeアプリが教えてくれるところによれば、今では1日7時間ほどYoutubeをみているらしい。Youtubeで音楽はほとんど聴かないので、ほぼ全部動画の視聴時間と考えてさしつかえない。どんだけ人生を無駄にしたら気がすむんだ。

 Youtubeなんて素人が作ったクッソくだらない上にクソつまらない動画をみてるくらいなら、本のひとつでも読んだ方がいくらか有意義な時間を過ごせそうなものである。なんなら積みゲーだっていくらでもあるんだから、それを遊んだほうがなんぼかマシだ。最もくだらない時間の使い方がYoutubeを毎日7時間見続ける事だ。

 Youtubeの大手事務所と言えば、UUUMがある。クソッタレが。これだけYoutubeをみまくっているのに、俺はUUUM株を持っていなかった。クソ株の短期売買をやって資産を減らすくらいなら、UUUM株を持ち続けていた方がはるかに儲かった。馬鹿な養分はそうやって金を溶かすんだよ。よく覚えとけクソッタレ。

 今日もまたダラダラと文章を書き連ねた理由は、まったくもって小説というものを書く気にならないからである。せめてもの慰みに、こうしてまたくだらない日記を書く事にした。こういう日記がなんか間違って金になったりしないものか。なんなら俺もブロガーとしてアフィリエイト報酬で飯が食いたいわ。大金が得られればなんだっていい。とにかく金が欲しいんだ、俺は。

 そういえば高校を中退した後も、こんなことをやっていた事を思い出した。懐かしさを感じると共に、自分の進歩のなさになんだか悲しくなってしまった。

2019/2/5(火)

 今日から日記を付けようと思う。

 先日、経済的自由を手に入れるべく続けていたFXで、ナケナシの20万円をゼロカットされてしまった。どうやら俺には金持ちになる為の資格がないらしい。受け入れられない。そんなこと断じて受け入れられない!20万だぞ!?どういう金か分かっているのか!?

 別に大金が欲しい訳じゃない。とにかく働きたくないのだ。経済的自由を手に入れたかった。しかし、ナケナシの20万をゼロカットされた事で、その夢も露と消えた。俺はただ自由になりたいだけなのに……。

 『ただ自由になりたい』なんてぼやくが、自由はタダじゃないんだ。歴史を振り返れば、人類は自由を手に入れる為に多くの犠牲を払ってきた。革命、闘争。自由を手に入れる為に多くの先人達が血を流してきた。自由とはそういうものなのだ。自由を手に入れようとするならば、死の覚悟が必要なのだ。そんな事は分かっている!黙れクソ!

 さて、何を血迷ってこんな日記を書き始めたのか。

 その確信に触れる前に、まず一つ考えてみてほしい。経済的自由を手に入れる為にはどうしたらいいのか。俺が足りない脳みそで考えた結果、3つの答えにたどり着いた。

 即ち、『宝くじ』『投資』『小説』

 大金を得るためにはこの3つの選択肢しかないのだ。聡明な読者であれば、『起業』という選択肢も思い浮かんだかもしれない。だが、起業という選択肢は俺にはない。何故なら人を使うのも人に使われるのも嫌いだからだ。人間なんて大嫌い!みんな死んじゃえ!あー、猫に産まれたかったなぁ。猫も嫌いだけど。猫命輝見!

 話がそれたが、つまり数年の思索を経て、俺が大金を得るためにはこの3つの選択肢しかない、という結論に至ったのだ。

 一つ目の選択肢『宝くじ』は、5年くらい買い続けているがまったく当たる気配がない。あたり前だ。数年前に全身麻酔をする手術を受けたのだが、その時に『全身麻酔によって死亡する確率』を聞かされた。なんと全身麻酔は、宝くじが当たる確率の200倍の確率で失敗して死ぬらしい。そうそう当たるわけないだろ宝くじなんか。そんな事は分かりまクリスティなんだよ。黙ってろタコ。

 この『宝くじ』という選択肢は、他の2つと並行して無理なく続けられるので、今後も続けるつもりだ。しかし、未だ大金を得るには至っていない。故に他の手段を取る必要がある。

 続いての『投資』だが、冒頭で述べた通り、成果を上げる前に退場することとなった。昨年の損失を合わせると、投資による損失額は200万円程になる。やってやれるか。昨年の12月の段階では100万円ほどのマイナスだったのだが、この損失分を取り返すべく70万円で海外FXのハイレバに挑んだところ、全部吹っ飛ばした。そして、それに加えての先日の20万円ロスカットだ。典型的な養分である。投資もどうやらダメらしい。

 となると、だ。残る選択肢は『小説』しかない。本を出版して一発当てる以外に大金を得る方法がない。しかし、普段から文章を書いてるわけでもなく、本を読むこともない。故にリハビリのために日記をしたためる事にした。ようやく、冒頭の日記を始める理由と繋がったわけである。

 見とけこのクソ共が。あ?やると言ったからにはやるんだよ。どうせ1ヶ月も続かないと思っているんだろうが。俺もそう思う。

 昨年末に知り合いの漫画家先生と話したところ「ハトリさん、小説も読まないし文章も書かないのに、小説とか絶対無理に決まってるでしょ(創作舐めてるんですか。まあ、舐めてるんでしょうけど)」って言われました。俺もそう思う。

 平成も終わるというのに俺は一体何をやってるんだ……。ただ、ただ自由が欲しいだけなのに……。